It is generally considered a good thing to improve one's sensitivity to words. However, I thought there might be some negative effects.
言葉に対する感性
出典は忘れてしまったが,どこかでこのような言葉を聞いたことがある。
一字一句正確ではないと思うが,こんなニュアンスだった。人の気持ちがわかるためには,言葉を知っていなければならない。知っている言葉が多ければ,寄り添える気持ちも多くなるはずだ,云々。
豊富な語彙力を有していることは,価値としてみなされる。体験したこと,感じたこと,考えたことを言葉にし,相手に伝える。それで生計を立てている人も少なくない。
豊富な語彙力,言語化能力は誰もが身に付けたいスキルとして考えられがちだが,弊害もあるのではないかと感じることもある。
磨きすぎると自分に刺さる
「20代で得た知見」という本に,こんな一文がある。
意識して言葉を扱っている人は,自分の言葉だけでなく,他の人が使っている言葉にも敏感に反応してしまう。
言葉を乱暴に使っている人は,相手の言葉をそんなに気にしない。
そんな法則が成り立つような気がする。
相手にそんなつもりはないのかもしれないが(あるのかもしれないが),攻撃的な言葉遣いに感じられる場面がここ最近増えたように感じている。
それは,自分の言葉に対する感性が磨かれてきたからなのか,それとも周りに兵士が増えたからなのか,よくわからない。
仮に前者だとすると,「言葉に対してもっと鈍感でありたい」とさえ思うことがある。
鈍感であれば,攻撃もなかったことにできる。武装解除,ディザーム。無敵である。
ただ,ずっと無敵であり続けるのは難しい。いつかは「これは攻撃ですよ」と寝ていても気付くような派手な攻撃を仕掛けられる。それは避けたい。受けてしまったら致命傷だろう。
避けるには,鈍感であることを突き詰めるか,攻撃が小規模のうちに気付いて対処するかどちらかである。
それならば,私は早めに対処する道に歩みを進めたい。敏感な感性を磨き,それが攻撃であることに気付くようにしたい。こちらも武器を持つのである。
幸い,いきなり大爆発を仕掛けてくるようなテロリストは少ない。大抵の人はジャブのような「察しろ攻撃」から始めてこちらの出方を伺ってくる。
そういう意味で,言葉に関する書籍には「言葉にできるは武器になる」「三行で撃つ」のような,物騒なタイトルが多いのかもしれない。これは深読みか。